アガサ・クリスティーは短篇も楽しい

アガサ・クリスティーとの出会いはたぶん小学生のとき、『ABC殺人事件』を読もうとして挫折したのがはじまり。以来、テレビドラマや映画で見るだけだった。『ナイル殺人事件』の映画をお正月に家族そろって指定席で鑑賞したせいか、ホームズにハマっていたのでほかの探偵ものを読んでみたくなったのか、よく覚えていないが突然どういうわけか『ABC殺人事件』にチャレンジして撃沈したのだった。

挫折した記憶のせいか、長々しくてむずかしい話とばかり思っていたのに、おとなになってあらためて読んでみたら、馬鹿みたいに読みやすい。当時の読解力に呆れる。ホームズのがよっぽど読みにくいような気がする。どうして挫折したのか謎である。

確か赤川次郎氏が一番好きな作家にアガサ・クリスティーをあげていたように思う。同意したい。一番と言い切るのはむずかしいけれど、大好きな作家のひとりに違いない。しかし、このパーカー・パインは知らなかった。解説を読んでも知っていたらかなりのクリスティファンとあるほど隠れた存在のようだ。この『パーカー・パイン登場』の十二編と『黄色いアイリス』に収録されている「レガッタ・デーの事件」と「ポリェンサ海岸の事件」の計十四編の短編にしか登場しないからだ。登場したのはいいが、ポアロのように華々しく活躍しないまま終わってしまった人物のようだ。

けれどパーカー・パインはたいへん魅力的だ。といってもそんなに詳しい描写はない。三十五年間官庁の統計収集の仕事をしたあと、「あなたは幸せ? でないならパーカー・パイン氏に相談を」といった怪しげなキャッチコピーを新聞広告に掲げる。「肥満体というほどではないが、図体が大きくて、形のよいはげ頭に度のきつい眼鏡、そしてその小さな目には輝き」がある。なぜか誰もがこのパーカー・パイン氏を信頼し、安心して秘密を打ち明けてしまうという。

といってもパーカー・パインは何もしない。「チャーリーズエンジェル」や「007」のように有能なスタッフたちがパーカー・パインの指示通り動いて解決するというパターン。

しかし、後半はパーカー・パインが休暇の旅行先で事件に巻き込まれるパターンに変わる。それはそれで面白いが、相談者を待つスタイルが続けられなかったのは少し残念。

中年夫人の事件

夫が若い秘書と不倫して舞い上がっていることに悩む夫人の相談。夫人を華麗に変身させて夫の気を引く作戦が愉快。

退屈している軍人の事件

パーカー・パインのスタッフである人気作家のオリヴァ夫人の筋立てどおり、退屈している軍人と冒険したい女性の二人を劇的にお見合いさせる。あっぱれ。

困りはてた婦人の事件

相談者の身になって、エメラルドの指輪を気づかれないようにすり替えるというサスペンスにハラハラさせられていた自分が情けなくなるどんでん返しが楽しい。

不満な夫の事件

妻に退屈だからと離婚を迫られている夫、レジーの相談。夫の株を上げるために、完璧な美人スタッフのマドレーヌ・ド・サラを友人として送り込む。マドレーヌは妻が夢中になっているボーイフレンドのシンクレア・ジョーダンのことを手玉に取ったあげく、夫人の前でからかって笑う。とうとう夫人は夫を愛している。シンクレアのことはみじめさとさびしさからだったと言い出す。すべてうまくいったと思っていた矢先、こんどは夫のレジーが今すぐにでも離婚してマドレーヌと結婚すると言い出して事務所に乗り込んでくる。めずらしくパーカー・パイン氏の予想が外れる話。

サラリーマンの事件

とくに不満はないが、決まりきった毎日からちょっと外れた体験をして、またいつもの生活に戻りたいという男の相談。

大金持ちの婦人の事件

大富豪ライマー婦人はお金の使い方を教えてほしいと相談する。一生懸命働いてできたお金だから寄付はしたくないという。お金について、幸せについて、考えさせられる。落語の「芝浜」を思わせるいいお話。

あなたはほしいものをすべて手に入れましたか?

ここからはパーカー・パインの旅先でのお話。列車で知り合ったジェフリーズ夫人に夫の不安を打ち明けられる。結婚直前にわなにかけられ、ゆすられていた夫が追い詰められて夫人の宝石を盗んで売ろうとしていたことをパーカー・パインに知られる。パーカー・パインは、わなにかけられたことは隠し、西インド諸島でのことが妻の耳に入らないように、盗みまでしたと釈明するようアドバイスする。

バグダッドの門

バクダッドへの車中、空軍将校スミザーストが殺される。乗り合わせたパーカー・パインが犯人をあぶりだす。『メソポタミヤの殺人』の全身か。

シーラーズにある家

シーラーズの館に引きこもっているという婦人にパーカー・パインは「相談にのります」と手紙を書く。

高価な真珠

ミス・キャロルは高価な真珠のイヤリングをしばしば落としてしまう。またなくなってしまった真珠を盗んだのはジムでないことを証明してほしいという。キャロルの父ブランデル氏はドナルド卿との結婚を望んでいるが、キャロルはジムと結婚したいと思っている。しかしジムには泥棒だった過去があった。

ナイル河の殺人

『ナイルに死す』の全身となる作品。蒸気船ファユーム号に乗り合わせたパーカー・パインは、レディー・グレイルの相談依頼を休暇中と一度断るが、百ポンドという高額につられ引き受ける。夫のジョージ卿が自分を毒殺しようとしているかどうかを調べてほしいという。しかしレディー・グレイルは船中で殺されてしまう。

デルファイの神託

ピーターズ夫人は溺愛する息子を誘拐され、なりすましのパーカー・パインに相談してしまう。「ナイル河の殺人」の結びに「ギリシャには名前を隠して行くことを考えてますよ。ほんとに、こんどこそ休暇を取らなくちゃ!」とあるのがヒント。にせパーカーのミスリードがすごい。

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